

インターネット黎明期に創業し、デジタルマーケティングを中心に多数の企業の成長を支えてきた、株式会社デジタルホールディングスの共同創業者にして代表取締役会長、野内 敦さん。圧倒的なスピード感が求められるデジタルの世界を、類稀なリーダーシップで牽引してきた野内さんにとって、装いとはどんな意味をもつのか?そして長年愛用していただいているというブルックス ブラザーズは、どんな役割を果たしているのか?多忙な業務の合間を縫って、インタビューに答えていただきました。
ドレスコードを設けず、
社員の自主性を尊重する
――まずは貴社の事業内容を教えていただけますか?
野内私たちデジタルホールディングスグループは、今大きく分けて3つの事業を掲げています。ひとつ目は1990年代後半、インターネット広告業界が確立する前に参入した、私たちの祖業であるインターネットマーケティング。ふたつ目は、スタートアップと言われるベンチャー企業に対する投資です。そしてもうひとつは一番新しい金融関連サービスで、ベンチャー企業や中小企業が広告を出稿する際の金融支援です。私は今年の3月より社長の職責を後任へ正式に継承し、現在は代表取締役会長として、会社の持続的成長を支えております。
――先ほど貴社のオフィスを少し拝見しましたが、皆さんとても自由なファッションで働かれていますね。いわゆるドレスコードはありますか?
野内弊社のバリューのひとつに〝自立〟を掲げており、服装に限らず自主性を重んじる社風のため、現在は明文化されたドレスコードはありません。そもそもIT系企業ってカジュアルなイメージがありますよね?
――そのイメージはものすごく強いです
野内ただ、弊社はスタートアップ企業に限らずありとあらゆる企業と取引をしているため、営業が大手企業の役員さんと会食するときに、Tシャツ一枚にジーンズではふさわしくないですよね。そのため、ネクタイとまではいかずとも、スーツにポロシャツを合わせるなど、それぞれの判断で服装を意思決定してもらっています。先輩の装いを見て、後輩は自然に学んでいくというか。社員の自主性に任せています。
――では、営業パーソン=スーツみたいなルールはないと。
野内はい。私自身も最近はスーツを着る機会はだいぶ減りました。株主総会で投資家や金融機関の方々とお会いするときは、ネクタイを締めたほうが安心していただけますが、逆にベンチャー企業の若い方々とお会いするときに今日のような格好をしていると、距離感を感じさせてしまうこともあるのです。
ビジネスシーンの装いは
〝お洒落〟より〝清潔感〟重視
水泳で鍛えた体にジャストフィットしたグレースーツや、美しくプレスされたブルーのドレスシャツ、そしてネイビーベースの「レップタイ」。若々しく朗らかな野内会長のキャラクターにぴったりのコーディネートです。
――本当にケースバイケースなのですね。野内会長ご自身は装いについて、ポリシーなどはお持ちですか?
野内私はお洒落な人間ではないので、明確なポリシーはないのですが(笑)、高いものや格好いいものを着るよりは、清潔で失礼のない装いがいいと思っています。高くて汚い靴よりも、安くてもきれいな靴のほうがいいですよね?装いって、そんな周りに対する配慮が大切だと思うのです。そしてもうひとつ挙げるとするなら、自分が着ていて心地よいか、でしょうか。心地よさには、心身が引き締まるような気分的な心地よさと、機能的で動きやすいという肉体的な心地よさの2種類ありますが。
――普段はどんな装いをされていますか?
野内目上の方との会食は、もちろんきちんと整えるよう意識しますが、普段はチノパンにポロシャツやTシャツのような装いが中心で、そこにジャケットを羽織る機会が多いですね。ただ、ブルックス ブラザーズの定番のボタンダウンシャツを複数枚持っていて、一時期は毎日違う色柄を着ていたこともありました(笑)。
――野内会長の佇まいはクリーンな装いもさることながら、体型もシェイプされていて、とても清潔感を感じます。
野内実はこのスーツ、ブルックス ブラザーズでだいぶ昔に買ったものです。ほかのものを買ったこともありますが、クセがなくて長持ちするので、結局これに戻ってしまう。ものすごく努力しているわけでもないのですが、逆に言うとこのスーツを着こなせるレベルで体型を維持しています。
野内会長に長年ご着用いただいているスーツは、アメリカントラディショナルの王道を現代に継承する『リージェント(現在はクラシックと呼ぶ)』というモデル。ウール100%ながらストレッチ性や吸湿速乾性を備えた『エクスプローラー』という生地を使用した、スタイリッシュにして実用的な1着です。
いわゆるブランドものではないと言いますが、よく手入れされたクラシックな革靴からも、野内会長の装いの哲学は伺えます。
――トップのこういう姿勢を見ているから、社員の皆さんも背筋を伸ばしている部分もあるのかもしれませんね。
野内いや、それはないです(笑)。役員室すらないですし、本当に上下関係のないフラットな会社なので。
――それでもやはりビジネスパーソンにとってちゃんとした服装が必要になる瞬間はあると思いますか?
野内そうですね。私たちはお洒落で勝負する業種じゃないので、服装に過度にこだわる必要はありません。カジュアルなパーカーよりも高級なスーツのほうが浮いてしまうコミュニティもありますし、いいものを着るというより、その場に適した服装を心がけるほうが大切だと考えます。きちんとしていることは重要ですが、服装だけが目立ってしまうのは本意ではありません。私から注意することはありませんが、シャツがしわくちゃだったり、襟元が汚れていたりするのは、さすがに気になります。結局のところ、清潔感が最も大切ですよね。
――そのスタイルに対する考え方は、まさにブルックス ブラザーズとリンクすると思います!
野内本当ですか(笑)?ありがとうございます。
IT業界の開拓者と
ブルックス ブラザーズの関係
――もともと野内会長はご愛用頂いているブルックス ブラザーズに代表される、アメリカントラディショナルな装いがお好きなのでしょうか?
野内学生時代はヘインズのTシャツにリーバイス501という装いが定番でした。海の近くで育ったので、サーフィンなどアメリカンカルチャーは身近だったと思います。
――ブルックス ブラザーズとの出会いはいつでしたか?
野内ブルックス ブラザーズの存在は以前から知っていましたが、実際に着はじめたのは20年ほど前だったかと思います。どこかのお店でジャケットを購入した際、それまでとは全く違う感覚を覚えました。それ以来、さまざまな店舗に足を運ぶようになりましたが、最近ではオンラインストアで購入することが増えましたね。定番モデルはデザインが基本的に変わらないので、ネットで気軽に買える点も便利ですね。
――インターネットのないメールオーダーの時代から、通販には力を入れております(笑)。ブルックス ブラザーズの魅力ってなんだと思われますか?
野内これは褒め言葉なのわかりませんが、成金のような雰囲気が一切ないと思います(笑)。クルマ選びにも共通していますが、極力目立たず、華美にならないことを心がけています。私も30代後半くらいのときには、いわゆる高級品を手に入れたいと思った時期もありました。しかし、ある程度年齢を重ねると、そうしたことにはこだわらなくなるというか、〝ちゃんとしたモノ〟を揃えていたいと思うようになるのでしょうね。
――〝ちゃんとしたモノ〟。それこそがブルックス ブラザーズが世界各国のビジネスパーソンにご支持いただけている理由だと思います! ちなみに最も活躍しているブルックス ブラザーズのアイテムはどんなものですか?
野内よく着るのは、メタルボタンが3つ付いた紺のブレザーです。ジーンズにもスラックスにも合うから、着用シーンが多いです。あとゴルフに行くときはポロシャツをよく着ます。こういった定番はほかのブランドを着ても、やっぱりまたブルックス ブラザーズに戻ってしまいます。前回の株主総会のときには、いわゆるストライプのネクタイを締めて臨みました。ブルックス ブラザーズのストライプは、ほかと違って縞が左上がりになっているらしく、わかる人にはすぐわかるようですね。貴社の方からもお礼を言われました(笑)。
サックスブルーのドレスシャツに合わせているブルックス ブラザーズの「レップタイ」。もともと英国軍で採用されていた「レジメンタルタイ」のストライプ柄をアレンジし、向きを左上りにしたのがそのルーツです。こちらはその中でも「ナンバーワンストライプタイ」と呼ばれ、欧米のビジネスリーダーにこよなく愛される名品。
今回の取材のために野内会長がご用意してくださった、ブルックス ブラザーズのネクタイコレクション。ストライプやドット柄が多いのも、野内会長の精悍なイメージと重なります。
――ありがとうございます!ブルックス ブラザーズが誇る「レップタイ」は、英国の定番であるレジメンタルストライプの柄を、逆向きにアレンジしたものです。
野内本当に着用頻度高いですよ。
――野内会長のまわりにも、こういった素敵な装いをされている経営者の方はいらっしゃいますか? よかったらぜひご紹介いただきたいのですが・・・。
野内・・・きっと皆さんお洒落だと思うのですが、なかなか思い出せないですね。きっと素敵な人って、洋服よりもその人自身が目立っているということなのでしょうね。
――ブルックス ブラザーズも、まさに着る人そのものを際立たせるような装いをご提供したいと考えております。本日はありがとうございました!
株式会社デジタルホールディングス
代表取締役会長/野内敦
1967年生まれ。東京理科大学工学部を卒業後、1991年に森ビルに入社し、マーケティングやセールスを担当。その後1996年に創業メンバーとしてオプト(現デジタルホールディングス)に入社し、1999年には取締役に就任。インターネットの黎明期から多くの新規事業を興し、その企業価値を向上させるとともに、日本社会のデジタルシフトを後押しする。2025年には代表取締役会長へと就任。ポリシーは〝謙虚さ〟。